★制作途中です。(ゆっくり進んでいます)


田原村の歴史

現在:大阪府四條畷市 上田原・下田原・緑風台・田原台

 中野村逢坂郷・南野村の東、生駒山地東側の標高150メートル前後に立地する大阪府域で唯一生駒山東部に開けた集落。讃良郡に属し、江戸初期には1村であったが、後に北半が下田原、南半が上田原となる。北は讃良郡星田村、東は添下郡北田原村・南田原村に接し、国境は天野川が北流、川沿いに磐船街道が通り、逢坂峠を越えて下田原を横断する清滝街道は下田原・北田原境で磐船街道と交差する。地名は小松寺の縁起に載せる保延5年(1139)の勧進奉加帳に「田原郷」みえる。また久安元年(1145)の近衛天皇綸の近衛天皇綸旨に「田原西郷」「田原東郷」がみえる。鎌倉時代初めには七条女院(後鳥羽天皇母)領田原庄が成立しており、以後大覚寺統の荘園として伝領されたと見られるが、詳細は不明。天保15年(1844)上田原村差出明細帳によれば村高273石余・反別24町余・家数54・人数292・寺院5とある。明治2年(1869)下田原村家数人別書上帳によれば家数79・人数334とある。



現在の田原地区 (Wikipediaより)

田原地区の範囲
  • 田原村の範囲であり、奈良県の県境に位置する地区である。生駒山地の一部である北生駒山地の麓の農業地帯であるが、1969年5月20日に都市計画区域に指定され、その後は関西文化学術研究都市に指定されるとそれらに似合った開発し、1978年10月に土地区画整理事業の計画を終えてから、1984年10月に田原ニュータウンの起工が行われ、宅地として開発された。その結果、1990年5月11日にパークヒルズ田原が街開きされ、田原台などの新興住宅地が点在しており、それまで減少傾向であった市内の人口が増加した

住所 四條畷市大字上田原1番地