千光寺跡

千光寺跡移築広場・田原レイマンキリシタン墓碑

  田原には田原城主一族の菩提寺、千光寺があったらしい、と地元で語り伝えられてきた。そして千光寺谷と呼ばれる月泉寺の墓地周辺の発掘調査で、寺、池、墓、土塀などの跡が次々と見つかり、千光寺と刻印された瓦が見つかるなど、千光寺跡が発見された。千光寺跡からは、平成6年には中国渡来の最高級品の青磁袴腰香炉や青白磁小壷、平成14年には田原城主田原対馬の守のキリシタン墓碑(天正91581年・日本最古)が見つかっているが、これら以外の土塀の跡や墓地の一部等、重要な部分は消防署田原分署の東側の移築公園に移され、常設展示をしている。


千光寺せんこうじあと寺口遺跡)

 鎌倉時代~安土桃山時代。田原城主田原対馬の守の菩提寺であった千光寺跡からは、寺跡や土塀、墓地などが発見され、墓地からは中国龍泉釜で焼かれた最高級品の青磁袴腰香炉(高さ11センチ)や同じく中国製の青白磁小壷(高さ4.6センチ)が見つかった。また出土品の整理作業中に「千光寺」と刻印された瓦が3枚見つかり、千光寺と断定された。平成14214日、土塀の基礎石列のソバから「天正九年辛巳 礼幡 八月七日」と刻まれた日本最古のキリシタン墓碑が見つかった。