月泉寺

 月泉寺墓地五輪塔・青磁袴腰香炉

千光寺谷と呼ばれる月泉寺の墓地周辺の発掘調査で、千光寺跡が発見され、その墓地には田原対馬の守のものと伝わる五輪塔が見つかった。この千光寺(真言宗)は明治維新後に檀家がなくなり廃寺となり、寝屋川市寝屋にあった曹洞宗月泉寺がこの地に移転し、かつての千光寺領を継承して、月泉寺墓地となり、五輪塔も移された。

五輪塔の各部分の石の色が違っているのは、50基以上あった五輪塔が明治期に傾き倒れてばらばらに散在したため、その中で一番大きく形の良いものを選んで、積みなおしたもので、創立当時の姿とは異なっている。

郷土史かるた

山中(やまなか)に (こけ)むす五輪塔(ごりんとう) (げっ)泉寺(せんじ)

 上田原山中に、月泉寺墓地と通称されるところがあって、五輪塔や卵塔が建ち並ぶ。3基の五輪塔がのる土台のすべては、五輪塔地輪の部で築き上げたもの。五輪塔林立の往時が偲ばれる。戦国期、当地を支配した田原対馬の守一族に縁(ゆかり)ある人たちを祀ったものと云う。

山中(やまなか)に (こけ)むす五輪塔(ごりんとう) (げっ)泉寺(せんじ)墓地(ぼち)

 今は移設されてないが、月泉寺(曹洞宗)の北に木々が生い茂る小山があって、鬱蒼(うっそう)とした苔むすところに古い4基の五輪塔があった。中央の3基の五輪塔の台座は、30基を越える五輪塔(地・水・火・風・空)の地輪の部分が並んでいた。昔このあたりに多くの五輪塔が散在しており、それらを集めて五輪塔を組み立てたのか、みんなちぐはぐであった。その中で一番大きいもので古い室町期のものを田原対馬の守の墓としたそうである。ところが、田原の開発でここに広い道路ができ、墓地も新しい道路を横切ったところに移設した。「山中・・・」ではなく、「苔むす・・・」もなく、青空のもとに西日を浴びて五輪塔が並んでいる。カルタの句は、旧墓地の情景を詠っている。月泉寺は、かつては千光寺(真言宗)で田原対馬の守の菩提寺だったが、明治維新後、無檀家となって廃寺になった。その後寝屋川市・寝屋の月泉寺が移り、禅宗尼寺へと転じた。現在の月泉寺は、平成8年に再興落慶されたものである。本尊は、先手十一面観世音菩薩である。「世の中の困っている人々の音を見て助けてくださる菩薩様」といわれ、十一面の小仏を配して十一面観音、そして千本の手を差し伸べてくまなく救うので先手観音と呼ぶ。月泉寺に田原対馬の守のお位牌がある。「義俊院殿節山良忠居士 没年延元乙子三月五日」とあって、南朝方の年号「延元」が使われている。